10年ぶりに大好きな人に会えました♪
以前にも紹介したことがありますが、以前、岐阜県恵那市に「旬魚旬菜きじや」という大人気の料理屋さんがありました。私がまだ各務原商工会議所の職員だった頃、15年くらい前にこのお店の経営革新申請に関わらせていただいた時にご縁をいただきました。
経営革新の仕事が終わった後も恵那方面で仕事がある時に立ち寄ることもありましたが、8年ほど前に惜しまれつつ閉店されまったため、そんな楽しみもなくなってしまいました。
ただ女将さん(小椋日南恵さん)とは、Facebookで繋がっていたたので、会うことはなかったものの、近況を知ることが出来たり、たまにメール交換することもあったのでそんなに離れている感じはありませんでした。
そんな女将さんと一昨日の夜、約10年ぶりに再会することが出来ました。しかもきじやの板前さんがその後、恵那市内で開店した「さい波」さんで一緒に食事をすることが出来ました。
女将さんは70歳を越えられましたが、昔とちっとも変わらない、今もキラキラしていて、少女のようでした。
今は商売から離れていますが、ボランティアで、郷土料理の料理教室を開いたり、地域活動を行ったりで、中々お忙しいようです。今回も日程調整をした時に第3候補でやっと調整がついたくらいです。恵那市では知らない人がいないうくらいの有名人です。
以前は顔見知りであったものの、お店の女将さんとお客さんという立場ででお会いしていましたが、今回初めて、お客さん同士という立場でお話が出来たので、いろんな話を伺うことが出来ました。
女将さんが40代の時、板前だったご主人を交通事故で亡くされ、商売の経験がない中で、どうして来られたなどいろいろ話してくださいました。
私から「女将さんは、お店をやっている時、どんな気持ちで仕事していたか覚えていますか?」とお聞きしたら、 「私は料理を作るわけではなかったけど、今日来られたお客様がきじやに来てよかったと思ってほしいと思ってた。スタッフにもどうだったお客さん元気な顔で帰られた?と聞いたりしていた」と話してくださいました。
その時、私が思ったのは、「ああ、若い時にこんな方に出会う機会をいただいて有り難かったなあ。私はあの「きじやさん」を知っているから、いろんな事業者さんを見たり、感じた時に違いを感じることが出来るんだなあと思いました。
経営革新申請をする時に、女将さんと一緒に県の東濃振興事務所に同行した際に、担当課までいく途中、職員の皆さんが笑顔で女将さんに挨拶されていたこと。担当課の男子職員の方が笑顔でお茶を入れてくれて丁寧に話を聞いてくれたこと。同じようなことは何十回ってあったのに、あの時だけ違っていたのはなんでだったんだろう? 女将さんが恵那市で人気者で皆さんから慕われていたことは分かりましたが、今回、再会して感じたことがありました。
それは、女将さんの想い方が違うのでした。
女将さんに心からの愛情があるからだと思います。
それは言葉にしなくても、関わる人たちみんなに伝わるのだと思います。
性別も年齢も仕事も異なりますが、 女将さんは、人として、「憧れの人」です。 いつか女将さんのような人になりたいな。
女将さんはよく質問もされます。「これは何?」「それはどうして?」などなど、とっても好奇心旺盛で素直なんです。
この日も私が話したことを、箸袋にたくさんメモされていて、「今日、伊藤さんに教えていただいたことが、今やっている活動に役立ちそう」と笑顔で話されていました。きっと誰に会ってもこんな態度で接しているのだと思います。
世の中にきじやさんみたいなお店ばかりだったら、幸せにな気持ちになれる人が増えていくだろうなあ。
私は飲食店は経営できませんが、きじやさんみたいなお店や会社をつくるお手伝いは出来るかもしれない。それが女将さんのような方に出会えたご縁に感謝してできることかなと思ったりしています。
きじやさんはもうないので、恵那市以外の方が女将さんに出会える機会は少ないですが、きじやさんのDNAを引き継ぐお店はあります。
今回、食事をさせていただいたきじやの板前だった下田さんが経営する「さい波」さんが、恵那市役所近くに。
女将さんの息子さんが経営するお店「青二才」が東京都内に4店舗あります。お近くに行かれる際にはぜひ予約をしてお出掛けくださいね。
女将さん、下田さん、ありがとうございました。
生きてて良かったと思えるほど、楽しい夜でした。
●さい波(さいは)/岐阜県恵那市
https://retty.me/area/PRE21/ARE302/SUB38103/100000762398/
●居酒屋・青二才(阿佐ヶ谷、中野、神保町)
http://www.aonisai.jp/
経営革新の仕事が終わった後も恵那方面で仕事がある時に立ち寄ることもありましたが、8年ほど前に惜しまれつつ閉店されまったため、そんな楽しみもなくなってしまいました。
ただ女将さん(小椋日南恵さん)とは、Facebookで繋がっていたたので、会うことはなかったものの、近況を知ることが出来たり、たまにメール交換することもあったのでそんなに離れている感じはありませんでした。
そんな女将さんと一昨日の夜、約10年ぶりに再会することが出来ました。しかもきじやの板前さんがその後、恵那市内で開店した「さい波」さんで一緒に食事をすることが出来ました。
女将さんは70歳を越えられましたが、昔とちっとも変わらない、今もキラキラしていて、少女のようでした。
今は商売から離れていますが、ボランティアで、郷土料理の料理教室を開いたり、地域活動を行ったりで、中々お忙しいようです。今回も日程調整をした時に第3候補でやっと調整がついたくらいです。恵那市では知らない人がいないうくらいの有名人です。
以前は顔見知りであったものの、お店の女将さんとお客さんという立場ででお会いしていましたが、今回初めて、お客さん同士という立場でお話が出来たので、いろんな話を伺うことが出来ました。
女将さんが40代の時、板前だったご主人を交通事故で亡くされ、商売の経験がない中で、どうして来られたなどいろいろ話してくださいました。
私から「女将さんは、お店をやっている時、どんな気持ちで仕事していたか覚えていますか?」とお聞きしたら、 「私は料理を作るわけではなかったけど、今日来られたお客様がきじやに来てよかったと思ってほしいと思ってた。スタッフにもどうだったお客さん元気な顔で帰られた?と聞いたりしていた」と話してくださいました。
その時、私が思ったのは、「ああ、若い時にこんな方に出会う機会をいただいて有り難かったなあ。私はあの「きじやさん」を知っているから、いろんな事業者さんを見たり、感じた時に違いを感じることが出来るんだなあと思いました。
経営革新申請をする時に、女将さんと一緒に県の東濃振興事務所に同行した際に、担当課までいく途中、職員の皆さんが笑顔で女将さんに挨拶されていたこと。担当課の男子職員の方が笑顔でお茶を入れてくれて丁寧に話を聞いてくれたこと。同じようなことは何十回ってあったのに、あの時だけ違っていたのはなんでだったんだろう? 女将さんが恵那市で人気者で皆さんから慕われていたことは分かりましたが、今回、再会して感じたことがありました。
それは、女将さんの想い方が違うのでした。
女将さんに心からの愛情があるからだと思います。
それは言葉にしなくても、関わる人たちみんなに伝わるのだと思います。
性別も年齢も仕事も異なりますが、 女将さんは、人として、「憧れの人」です。 いつか女将さんのような人になりたいな。
女将さんはよく質問もされます。「これは何?」「それはどうして?」などなど、とっても好奇心旺盛で素直なんです。
この日も私が話したことを、箸袋にたくさんメモされていて、「今日、伊藤さんに教えていただいたことが、今やっている活動に役立ちそう」と笑顔で話されていました。きっと誰に会ってもこんな態度で接しているのだと思います。
世の中にきじやさんみたいなお店ばかりだったら、幸せにな気持ちになれる人が増えていくだろうなあ。
私は飲食店は経営できませんが、きじやさんみたいなお店や会社をつくるお手伝いは出来るかもしれない。それが女将さんのような方に出会えたご縁に感謝してできることかなと思ったりしています。
きじやさんはもうないので、恵那市以外の方が女将さんに出会える機会は少ないですが、きじやさんのDNAを引き継ぐお店はあります。
今回、食事をさせていただいたきじやの板前だった下田さんが経営する「さい波」さんが、恵那市役所近くに。
女将さんの息子さんが経営するお店「青二才」が東京都内に4店舗あります。お近くに行かれる際にはぜひ予約をしてお出掛けくださいね。
女将さん、下田さん、ありがとうございました。
生きてて良かったと思えるほど、楽しい夜でした。
●さい波(さいは)/岐阜県恵那市
https://retty.me/area/PRE21/ARE302/SUB38103/100000762398/
●居酒屋・青二才(阿佐ヶ谷、中野、神保町)
http://www.aonisai.jp/
- 2020.02.15 Saturday
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- by 伊藤 慎悟