失敗した経験を持って戻ってこい!
先日、私が各務原商工会議所に勤務していた時にお世話になった星野鉄夫元会頭(岐阜車体工業顧問)がお亡くなりになられました。
出張していたので知らなかったのですが、帰ってきて新聞を見て知りました。
最後にお会いしたのは、10年くらい前だったかな。独立した後でしたが、当時通っていた市内のスポーツクラブでトレーニングしていた時に、「俺も少し身体を鍛えようかと思って。社員からここが評判がいいって聞いたから、見学に来たんだ。お前、運動なんてしなくても良さそうなのに」って話した覚えがあります。
星野さんが会頭でなかったら、私が独立開業するのはもっと遅かったかもしれませんし、タイミングを逃せば開業自体していなかったかもしれません。
話が長くなるので、端折ってお話しますが、私が退職を申し出た際、当時の上席の方々からは、「送り出してあげよう」という意見と、「まだ早いだろう、もう少し貢献してもらってから」という意見があったそうです。 私も後で聞いた話でしたが、二分する意見があって当然だと思います。
そんな中、最後に決断してくだったのが星野会頭で、
「うちの組織は、挑戦する人を応援する組織であろう。それは事業者さんに対しても、職員に対しても同じ」と言って、送り出していただけることになりました。
そのことを職員全員が集まる会合の場所でお話ししてくれました。
その会合が終わった後、会頭にお礼が言いたくて、エレベーターで帰られた会頭を階段で追いかけてビルの1階まで降りたら、ちょうど迎えの車に乗られるところでした。
お礼を伝えると、私の肩を叩いて、「そういうことだ!やれるだけやってダメだったら、失敗した経験を持って戻ってこい!」って言ってくれました。
「戻ってこれるわけないじゃないですか」とは思いましたが、本当に本当に有難いお言葉でした。
2008年3月のその光景を、12年経った今でもよく思い出します。
開業してから、誰かにお礼や感謝をされると、送り出してくれた人たちのことを思い浮かべます。
星野会頭、各務原商工会議所職員のみんな、当時お世話になっていた専門家の先生たちなど、そんな方々のおかげで、今、誰かに喜んでもらえるようになったんだなあって思っています。
2006年秋に、私が中小企業大学校東京校の「中小企業診断士養成課程(6ヶ月半)」に行く時に、会社に挨拶に伺った際には、
「世の中すべて「仮説−検証−修正」の繰り返しだ。そのことを身を持って体験してこい」って話されていました。
当時は、「製造業の話?」くらいにしか受け止めていませんでしたが、今、この年齢になって、尊い教えだったことに気づかされます。
また、せっかく半年以上も東京にいるんだから、勉強ばかりじゃなくて、「東京にしかないものを見て周り経験してこい」とも言っておられ、毎月、レポートを送ってこいとも言われました。
最初は冗談かと思ったのですが、その後、秘書の方から、会頭の個人メールアドレスを伝えられて、本気なんだと諦めました。
面倒くさいなあと思いながらも、時間を見つけて立ち寄ったところをレポートにして報告してました。
一番喜ばれたのは、町田市にある旧白洲次郎邸「武相荘」を行った時のことでした。会頭が白洲次郎さんをお好きだったと思うのですが、無事卒業した時より喜んでおられました。
養成課程を終えて、帰ってきた時に「半年間、耐え抜いて無事資格は取れましたが、自分が成長出来たかどうか正直分かりません」と話すと、
「そんなもんすぐに分かるかあ!心配せんでも、その内、自分が成長していることに気づけるわ!」って話してくれました。
事実、しばらくして以前との違いに気づけることが出来るようになりました。
私のような立場の職員であったものでも、思い出は尽きません。
一つ心残りがあるとすれば、一度も叱られることがなかったこと。私の上司や先輩は、叱られることもあったようでした。私がまだたいした仕事を任されていなかったからでしょうが、星野会頭に直接怒ってもらえるような経験をしてみたかったです。
星野会頭は私の父と同じ昭和11年生まれ。初めてお会いしたのは、商工会議所に入所した23歳の時。当時総務委員会の委員長さんでしたが、事務局を担当していて、「父と違って、なんてダンディーでカッコいいんだ!それでいて私みたいな入りたての職員の意見も聞いてくれて優しい」と思った覚えがあります。
当時の星野会頭が55歳くらいだったと思うので、今の私とそんなに変わらないですね。私が見た55歳の星野さんには遠く及ばないですが、同じくらいの時間が過ぎると私も自分の人生を終えるかもしれないと思うと、何が出来るのかなと考えたりします。
退職してからもずっと、毎年、年賀状で近況を報告していましたが、来年からはもう出来なくなってしまいましたね。
星野会頭、本当にお世話なりました。有り難うございました。
お会いすることが出来たこと、心より感謝しています。
「出会いが人を育て、別れが人を深める」のであれば、この感謝を何かに変えていかなければと思います。
出張していたので知らなかったのですが、帰ってきて新聞を見て知りました。
最後にお会いしたのは、10年くらい前だったかな。独立した後でしたが、当時通っていた市内のスポーツクラブでトレーニングしていた時に、「俺も少し身体を鍛えようかと思って。社員からここが評判がいいって聞いたから、見学に来たんだ。お前、運動なんてしなくても良さそうなのに」って話した覚えがあります。
星野さんが会頭でなかったら、私が独立開業するのはもっと遅かったかもしれませんし、タイミングを逃せば開業自体していなかったかもしれません。
話が長くなるので、端折ってお話しますが、私が退職を申し出た際、当時の上席の方々からは、「送り出してあげよう」という意見と、「まだ早いだろう、もう少し貢献してもらってから」という意見があったそうです。 私も後で聞いた話でしたが、二分する意見があって当然だと思います。
そんな中、最後に決断してくだったのが星野会頭で、
「うちの組織は、挑戦する人を応援する組織であろう。それは事業者さんに対しても、職員に対しても同じ」と言って、送り出していただけることになりました。
そのことを職員全員が集まる会合の場所でお話ししてくれました。
その会合が終わった後、会頭にお礼が言いたくて、エレベーターで帰られた会頭を階段で追いかけてビルの1階まで降りたら、ちょうど迎えの車に乗られるところでした。
お礼を伝えると、私の肩を叩いて、「そういうことだ!やれるだけやってダメだったら、失敗した経験を持って戻ってこい!」って言ってくれました。
「戻ってこれるわけないじゃないですか」とは思いましたが、本当に本当に有難いお言葉でした。
2008年3月のその光景を、12年経った今でもよく思い出します。
開業してから、誰かにお礼や感謝をされると、送り出してくれた人たちのことを思い浮かべます。
星野会頭、各務原商工会議所職員のみんな、当時お世話になっていた専門家の先生たちなど、そんな方々のおかげで、今、誰かに喜んでもらえるようになったんだなあって思っています。
2006年秋に、私が中小企業大学校東京校の「中小企業診断士養成課程(6ヶ月半)」に行く時に、会社に挨拶に伺った際には、
「世の中すべて「仮説−検証−修正」の繰り返しだ。そのことを身を持って体験してこい」って話されていました。
当時は、「製造業の話?」くらいにしか受け止めていませんでしたが、今、この年齢になって、尊い教えだったことに気づかされます。
また、せっかく半年以上も東京にいるんだから、勉強ばかりじゃなくて、「東京にしかないものを見て周り経験してこい」とも言っておられ、毎月、レポートを送ってこいとも言われました。
最初は冗談かと思ったのですが、その後、秘書の方から、会頭の個人メールアドレスを伝えられて、本気なんだと諦めました。
面倒くさいなあと思いながらも、時間を見つけて立ち寄ったところをレポートにして報告してました。
一番喜ばれたのは、町田市にある旧白洲次郎邸「武相荘」を行った時のことでした。会頭が白洲次郎さんをお好きだったと思うのですが、無事卒業した時より喜んでおられました。
養成課程を終えて、帰ってきた時に「半年間、耐え抜いて無事資格は取れましたが、自分が成長出来たかどうか正直分かりません」と話すと、
「そんなもんすぐに分かるかあ!心配せんでも、その内、自分が成長していることに気づけるわ!」って話してくれました。
事実、しばらくして以前との違いに気づけることが出来るようになりました。
私のような立場の職員であったものでも、思い出は尽きません。
一つ心残りがあるとすれば、一度も叱られることがなかったこと。私の上司や先輩は、叱られることもあったようでした。私がまだたいした仕事を任されていなかったからでしょうが、星野会頭に直接怒ってもらえるような経験をしてみたかったです。
星野会頭は私の父と同じ昭和11年生まれ。初めてお会いしたのは、商工会議所に入所した23歳の時。当時総務委員会の委員長さんでしたが、事務局を担当していて、「父と違って、なんてダンディーでカッコいいんだ!それでいて私みたいな入りたての職員の意見も聞いてくれて優しい」と思った覚えがあります。
当時の星野会頭が55歳くらいだったと思うので、今の私とそんなに変わらないですね。私が見た55歳の星野さんには遠く及ばないですが、同じくらいの時間が過ぎると私も自分の人生を終えるかもしれないと思うと、何が出来るのかなと考えたりします。
退職してからもずっと、毎年、年賀状で近況を報告していましたが、来年からはもう出来なくなってしまいましたね。
星野会頭、本当にお世話なりました。有り難うございました。
お会いすることが出来たこと、心より感謝しています。
「出会いが人を育て、別れが人を深める」のであれば、この感謝を何かに変えていかなければと思います。
- 2020.02.26 Wednesday
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- 08:45
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- by 伊藤 慎悟