心の過疎

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    写真の風景は、岐阜県関市上之保という場所です。
    先日、商工会連合会の仕事で行ってきました。
    数年前に市町村合併したので、関市上之保になっていますが、
    以前は「武儀郡上之保村」と呼ばれていました。
    私が住んでいる各務原市と関市は、隣接した市ですが、
    上之保まで行くのには、車で1時間程度かかります。

    なかなかの田舎ですよね。
    蝉の鳴き声が遠くに聞こえ、
    昔の夏休みを思わせる風景が広がっていました。

    この村には、昔、「ふるさと創生資金」と呼ばれた
    お金で作った温泉があります。
    当時は、どこもそのお金で温泉を掘るところが多かったですが、
    当時の村長さんは、過疎化が進む村で、
    何か村民が誇りに思えるものを作りたかったのだそうです。

    今、その温泉は市町村合併を機に、村の第3セクターから、
    地元の民間企業に受け継がれていますが(指定管理業者)、
    今も、地域にとって、他に誇れる施設であり、
    地域住民の雇用の場となっています。

    その村長さんの口癖が「心の過疎になるな」だったそうです。
    村長さんは自分の二人の息子さんを
    それぞれ「教師」と「医者」に育て、
    過疎地であっても、よい教育や、よい医療を
    受けられるようにしたそうです。

    過労が響いてか、若くして亡くなられたそうが、
    お話を聞いて、志の高いリーダーがこの村にいたんだなあと
    帰りに露天風呂に入りながら思いを馳せていました。
    おかげでアラフォーのおじさんの肌もスベスベです・・・(笑)。



    遠くで微笑む

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      お盆もあっという間ですね。
      今年は自宅で仕事をしているうちに終わってしまいました。
      忙しく過ぎていく日々の中で、
      神様は時々“気づき”を与えてくれます。

      先日、私の友人が、以前、私が親しくしていた友人と
      偶然出会ったと教えてくれました。
      私はその友人とは数年会っていなかったのですが、
      その時、私は、懐かしいという思いより、
      以前、私がその友人に話した自分の言葉を思い出しました。
      確か、「いつかこんな仕事ができるようになりたい」と、
      語った覚えがあります。

      それから10年近く経つでしょうか、
      今、私はその言葉どおりの仕事をしています。
      まだ力不足で納得がいく仕事は出来ていませんが、
      あの時、思っていた場所には来られたように思います。
      (独立するとは思っていませんでしたが…)

      たくさん仕事をいただくのはとても有難いことですが、
      どれも限られた時間の中で行わなければならず、
      ついやらされている気持ちになってしまう時があります。

      そんな時、私は数年会っていない友人の話を聞いたことで、
      昔の自分の思いに立ち返ることができました。
      「あの時やりたかった仕事が出来ているんだって」
      その環境にいられることを幸せに思い、
      もっと感謝しなければと思いました。

      ただ、そうは思ってもまた忘れるでしょう。
      でも、本当に忘れそうになった時、
      神様はまた気づきを与えてくれるかもしれません。
      大切なのは、その時、自分が気づけることでしょうか。

      ユーミンの「卒業写真」の歌詞のように、
      人であったり、唄であったり、風景であったり、
      大切なことを忘れそうになった時、
      いつも思い出せてもらっているように思います。

      キューチー

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        8/9〜8/11まで、夏休みをいただいていました。
        最初の二日間は、ここ数年恒例にしている
        関東に住む友人家族と山梨県北杜市でキャンプをし、
        最後の一日は、今春、亡くなった祖母の初盆ということもあり、
        母の実家である長野県長野市へ行っていました。



        前にもこのブログで書いたことがありますが、
        この長野は私にとって第二の故郷。
        中学生になるまでは休みのたびに遊びに行っていました。
        特に夏休みは長く、7月後半から8月20日頃まで、
        約3週間、滞在していました。

        地元の子たちと一緒に毎朝ラジオ体操をし、
        地元の小学校のプールにも行き(今では考えられませんが)、
        お祭りに行ったり、野球をしたり、花火をしたり、
        ずっと一緒に過ごしていました。

        その中で印象深いのが、近くの駄菓子屋。
        お菓子も売っていたのですが、この時期の目的は「花火」。
        子供の頃は「キューチー」と呼んでいましたが、
        多分、「木内商店」といったのではないかと思います。
        他店よりも圧倒的に品揃えが多く、子供たちには魅力的だったのですが、
        難点はおじさんが無愛想で怖かったこと。
        確か、おじさんは目が不自由だった記憶があるのですが、
        どうしても子供には怖く感じてしまい、
        ゆっくり花火を選びたいのに、怖いから少しでも滞在時間を短く
        必要なものを買って出てきてしまう。
        そんなすっきりしない気持ちを抱えていたように思います。

        残念ながら、その場所にはもうお店はありません。
        でも、今にしてみれば、あの少し薄暗くて、
        夏でもひんやりとした空気も懐かしいなあ。
        じいちゃん、ばあちゃんのお参りをしながら、
        そんな昔に少し戻ってきました。

        8ヶ月間の重圧

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          以前、このブログでも書いたことがある
          6時間×3日間のセミナー講師を終えて、
          兵庫県福崎町にある「中小企業大学校関西校」から帰ってきました。



          研修生の評価はいろいろかもしれませんが、
          私なりには、今の私にできることはやり尽くしたように思います。
          今は依頼を受けてから、約8か月間抱えていた重圧から
          解放された気分で安堵の気持ちでいっぱいです。
          資料の作成に、プレゼンの準備、いったいこのセミナーに
          どれだけの時間を費やしたかわかりません。
          仕事なので当たり前のことですが、私にとっては大変な仕事でした。
          でも、今は心からやってよかったと思っています。
          苦労はしましたが、結局、一番学んだのは私のように思います。

          私を講師に選んでくださった関西校の林先生、ありがとうございました。
          今は先生から仕事の依頼をいただく立場になりましたが、
          今でも私は先生に育てていただいている気がします。
          先生のおかげで、私はまた少し階段を上がれたように思います。

          それから、この研修講師をするために、
          日程の件なのでご迷惑をお掛けした皆さん、
          ご協力ありがとうございました。
          また、膨大な資料の校正を手伝ってくれた家族にも感謝しています。
          そして、3日間、つたない私の講義を
          真摯に聞いてくださった研修生の皆さん、
          ありがとうございました。
          願わくば、少しでも皆さんの役に立てていたら、嬉しいです。

          皆さん、私にこのような機会を与えていただいて、
          本当にありがとうございました。

          今夜はゆっくり寝ます。。。

          おじさんのジレンマ

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            今年はどこも長梅雨が続いていますね。
            いつもなら一番天気が安定している時期なのに。
            そのせいで岐阜県の高校野球決勝戦も2日延期になりました。

            今年は古豪「県立岐阜商業」と我が地元の「各務原高校」。
            (ちなみに岐阜商業をわざわざ「県立」としているは、
            「市立岐阜商業」という学校もあるからです)
            各務原高校は、これまでベスト16が最高で、
            創部以来初めての決勝進出だそうです。
            普通なら各務原の名前を全国に知ってもらうためにも、
            無条件に「各務原高校」を応援するのですが、今年は事情が違いました。
            対戦相手の「県立岐阜商業」に甥っ子が居たのです。
            まだ2年生ですが、背番号「10」、左の控え投手としてベンチ入りしています。
            結果は、2-0で「県立岐阜商業」が、3年ぶり、27回目の出場を決めました。

            年頃のせいか、最近は私たちの前ではあまり表情を見せないのですが、
            テレビを通して見た彼は、嬉しそうに仲間と笑っていました。
            彼は義弟の長男なのですが、自分のお父さんより
            8歳年下の私はお兄さんのように見えたのでしょうね。
            小さい時は僕の服装の真似をしたり、
            キャッチボールの相手をしてあげると言ったらすごく喜んでくれました。
            小学校高学年になる頃は、キャッツボールの相手をしても、
            球が速くてもう怖いなと思うようになっていました。

            私は大好きだった野球を中学入学と同時に止めてしまったので、
            彼が野球を続けてくれていることが嬉しかったです。
            「県立岐阜商業」に入学した時も、
            これで甲子園が近くなったのかなとは思っていましたが、
            まさか本当に、しかもこんな早く実現するなんて思ってもいなかったです。

            親族から初めての甲子園球児。きっと喜んでいる人も多いだろうね。
            甲子園出場、おめでとう。よかったね、陽介。
            登板があってもなくても、今、自分ができることを精一杯やりきってきてください。




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